0919 心身、こころについて

今年は季節の変わり目は感じるものの、
例年になく蒸し暑いですね。
まもなく秋分を迎えると暦の上では秋。
日中の暑さが、というか湿度が和らいでくれるといいです。

今年の夏は去年よりもたくさん活動することができました。

私は持病があり、そこについては良くなっているわけでもなく
去年よりも状態は良くないです。
ただ、身体を壊して約4年。
からだやこころとの向き合い方は上手になったようです。

我慢(ストレス)があれば、痛む、過食。重たくなる、痛い、動けない。
いつもだいたいこの過程を踏んでいました。

過食の時点でやめれば、無駄に食べる事さえしなければ
臓器への負担もなく、太りもせず、乗り切れると思っていました。
ただそもそもの『我慢』この段階で対処を誤ると途中で消化するのは難しいです。

そしてこの我慢しない。という経験を最近は着々と積んでいます。

はじめは我慢をしているということにすら気づかず、
何が嫌か、何に我慢しているか。もわかりませんでした。

それがだんだんとわかるようになり、
『ノー』と言えるようになりました。

そうすると、味を占め、
自分の意見を言わない事に違和感や不快感を覚えるようになりました。
必要ないとわかっていても、ずっと捨てれない。
見て見ぬもふりもできないような嫌な感覚です。
そして、自分の意見や考えを言うようになりました。

そもそも、言えなかった時、
言わなかった時はなぜそうしなかったも振り返ってみました。

そして出た答えは
人からどう思われるのか。を気にしていたからという結論に至りました。

フラットで調和的、出る杭は悪。
そんな価値観がありましたし、意見したことになにか反論される怖さもありました。
そう考えるとそれを乗り越えるってとてもすごい事だぁと
我ながら褒めてあげたいです。

そんなきっかけをくれた人がいた。という事も大きかったです。
彼女は外国暮らしも長く、これでもかと自分の意見を言って(押し付け)いました。
彼女が何か言って私が黙ると。
『私押し付けてる?』と聞いてきました。
正直、境界域を超えて、押し付けられていました。

私はそこまで強く自分の意見を人に主張しないし、
あなたはあなた、私は私というスタンスでやっていたので
我こそが正義。
そんな彼女のアイデンティティーはとても不愉快なものでした。
ただその彼女と関わって3回目。
私は耐えきれず、
『あなたはそうかもしれないけど、私は違う。私はこう思う。』

彼女の強い口調と語気に負けじとそう発したのです。
すると彼女は私の言葉に耳を傾けてくれるようになりました。

これが私にとっては強烈な体験で
しばらくは今まで見たことのない景色、
外国にでもいるように日常が違って見えるようになったのです。

そんな経験を経て、自分の意見を言う事。
それが我慢しない。につながる。そんな風に思っています。

そうしていくうちに、
自分のすきなもの、きらいなもの、快不快
自分の感覚をきちんと感じ取れるようになってきました。

最近思ったしあわせについては
喜怒哀楽を味わえることです。

嫌な事があれば、怒り、悲しみ。
満たされる出来事には喜び、歓喜します。

身体はいろんな問題を抱えていますが、
それでもこころは健やかでしあわせという言葉がちらつく、
そんな3連休を過ごしました。