遠慮と思いやりの違い 2

はてさて、前回の続きですが

人と接していて嫌だなぁと嫌悪感を感じる部分は
そうじてそれに×のジャッジをしている事だったりします。

〇か×か、正か非か、など

それは個人の価値観であり、
今まで培った中で導き出した潜在的なものだったりするので
生まれた国、環境によって大きく異なってくるものだと思います。

生きるために人のものを盗む事が良しとされる価値観があれば
そんな事は絶対にしてはいけない。
そう思うには生きる事がすべて、
生きる事は無意識でどう生きるかに目を向けている。
どこにポイントを持ってくるか
そんな事で違ってくると思います。
その根底には欲や集合意識(社会意識)の違いなどがあると思います。

そして自分が×とジャッジを下した価値観にも理由があります。
過去にそれをされた時嫌な思いをした、トラウマなど
人は嫌な思いを潜在的にも記憶します。
それはまた嫌な思いをしないための防御策です。
生きる上で辛い、ショックな出来事は生命力を奪う事にも
つながりかねません。
自分の心と身体を守るために嫌な事を記憶するという事は大事な事です。

ただそこに縛られてしまうと
あらゆる物事に制限が多すぎて
生きづらさになってしまうと思います。

幼少期、健全な自己形成が培われなかった人は
その後の人生、それを埋めるために時間を費やしたり
健全な人とは違う大変さを背負います。
三つ子の魂百まで

というやつですね。

でも3歳には今更戻れませんw
どうしたら良いかはまた次回。