ゆるすと言う事について

こんにちは、宿り木です。

2.2ぞろ目の日は縁起がいいとかなんとか。

今日は朝から少し外に出ました。
(郵便ポストへ投函に行っただけですがw)

先日『歩く瞑想』というものを知りました。
歩きながら自分の事を俯瞰するというもの。

私は歩いている時、思考・こころの整理をしています。
直近起きた出来事にああ思った、こう考えた。など
これはこの歩く瞑想だなぁと思いました。

昨日も湧き上がるネガティブな感情について思い巡らせていました。
その理由を考えたところ、嫌な事をされた。
あれだけ嫌な事をされたら嫌うのも仕方ない。
ただ、今日になって高ぶる感情は収まっても釈然としない。
そして朝外を歩いていた時にふと思ったことが
あの時、嫌な事をされて『許さなければならない』と思いこんだことが原因だった。
と言う事に気づきました。

許すことで楽になる、なんならなかったことになる。
そんな風に考えていたかもしれません。

この事を受けて今の私の考えは違います。

許さなくていい。
許したくなったら許せばいい。

相手との関係性を大事にするあまり、相手の気分を害さないため
そんなことのために自分を犠牲にする必要なんてなかったのです。

ただこれは許しません。と宣言するなどする必要もなく、
起きた出来事にはそれなりに対処する。
そこで大事なのが自分の気持ちをごまかさないこと。
許せない時は気心知れた人に『嫌い』『面白くない』『許せない』
そんな本音を話すだけで予後が違ってきます。

ネガティブに感情が働くとき、
怒りや嫉妬、妬み、嫉み、など色んな感情がありますが
その根底には悲しみが眠っていると思っています。

その悲しみに気づけたら『悲しかった』
その一言を伝えるだけで拗らせずに済みますが
なかなか気づけない事もあります。
悲しみより怒りの方が大きく感じることもあります。

怒りは収まるに越した事ないですが、
悲しみの放置はちょっと自分がかわいそうですよね。

嫌な事をされたら、誰だって嫌だと思うし、悲しいし、傷つくし
時に怒ります。

そんな感情も私の一部。
許せる時が来たら許そう。
そんな心構えでいられたら回復にかかる時間も短縮できると思いました。